殿堂一覧 FC春日浦公式ホームページ

FC春日浦が誕生したのは、2006年1月でした。某企業からなる「選抜チーム」として発足しました。初試合は、4月23日。無謀ともいえる素人集団の参加であり、フットサルについて、全く何も分らない状況での参加でした。

FC春日浦殿堂選考委員会は、これまでフットサル及びFC春日浦の活動に特に貢献された選手を顕彰することとしまし た。この方々の貢献を顕彰し、栄誉を讃えるために、「FC春日浦の殿堂」に、将来的に顕彰板を設置します。なお、最初の殿堂入りは、2007年の池田眼鏡選手であります。
                                                     

<FC春日浦殿堂運営委員会>

 殿堂入り顕彰者(年順・敬称略)



池田眼鏡
(いけだ・めがね)
2006〜2007



背番号8 ポジション:PIVO/ALA/GOREILO

2006年入団。大学までサッカー経験者と言張る。06年「FC春日浦」結成にあたり、副キャプテンとなり、代表業務を補佐する。

06年4月23日に、FC春日浦最初の公式試合のピッチに遅刻してきたが立つ。記念すべき初ゴールは5月まで、ずれ込んだが、シザースからのフェイントと素晴らしいボール捌きを見せた。

試合中、本当に限界を感じた時、両手を膝に当てて地面を睨む。これは、あえて相手を油断させる為の行動であり、決して疲れていないと本人は言張る。07年4月に、会社の都合による転勤でレンタル移籍となる。

帰省した時は、連絡をして参加すると話していたが、転勤3ヵ月後にチームからのメールを着拒し、今に至る。
現在は、東京の親会社へ出向。今まで、虐げられていた所属子会社に対し、横柄な態度を続けている。

身長170cm・体重55kg 通算戦績42試合 4得点。

■池田眼鏡選手特集

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山下克衛
(やました・かつえい) 
2006〜2007


背番号21 ポジション:PIVO

2006年入団。元日本代表では?と噂されたが、ガセである。メキシコオリンピックでは、銅メダルを獲得したサッカーよりもマラソン銀メダルの君原健二を応援していたとの噂もある。

歴史に残る2006年6月24日。ホークスタウンで行われたスーパービギナーズカップ大会にて、チーム史上最年長ゴールを挙げる。この記録は未だ破られていない前人未到の記録である。

2006年シーズン途中に、痛風を患う。健康の為に始めたフットサルであったが、心臓に負担が掛かる事を痛切。2007年1月にピッチへ立ったが、長年の相手DFからの執拗なマークによる右足の故障は癒えず。2007年途中、休部を申し出る。記録よりも記憶に残る選手である。


身長165cm・体重70kg 通算戦績22試合 1得点。

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丸山弘文 
(まるやま・ひろふみ)
2006〜2007


背番号7 ポジション:FP

2006年入団。結成当時からの古参メンバー。最初は、素人同然、ただのサッカー好きな男であったが、持ち前の要領の良さで、そのスタミナ不足、鈍足をカバーする。

守備的なポジショニングは、特筆するべき点があり、またインサイドからのダイレクトシュートで、意外な場面で点を獲ってきた。得点源。

悪い点といえばネガティブな所と言われ、相手チームのユニフォームや体格で負けるのでは無いかと、試合前から自信を喪失する場面が多く見られた。しかし、いざ試合となると意外に弱いと気付く事多数。

古参メンバーであるが故の、弱小時代を経験しており、初優勝した時の喜びは、ひとしおだったそうだ。2007年10月惜しまれながらも、広島へ転勤。「もうフットサルはしないと思います。」との言葉を残し旅立った。
8/28 記念すべきFC CASUGAURA TOKYOとして、東京のピッチに立った!


身長170cm・体重70kg 通算戦績99試合 9得点。

■丸山弘文選手特集

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奥西 義和 
(おくにし・よしかず) 
2006〜2008


背番号17 ポジション:GOLEIRO

2006年入団。弱小チームの春日浦にあって試合中に闘志を燃やし牽引してきた選手。チームの精神的支柱として、大会時途中に、勝手にコートを占有、練習を行いコート関係者から警告・注意を受ける事多数・・・。

そんな厳しい状況下でも天性の明るさとリーダーシップで最後尾から指示を飛ばし続けた。試合前前日に、所属選手に「開始30分前には集合してアップをしよう!」と激を飛ばすが、本人が前日深夜まで深酒を行い試合ギリギリに現れる事も多数・・・。しかし、前日の飲酒もどこ吹く風とばかりに、試合では徹底的に堅守を見せスーパーセーブの数々でチームの危機を救ってきた。

また、FPユニフォームに着替えると自称「クレージードッグ」に変身。コート全面を使った幅広い攻撃を魅せると共に、若い選手を凌駕した体力を魅せ得点を挙げる。これを見て、それまで、「奥西選手はビッグマウスだ」と陰口を叩いていたヤベッチが、生涯の師匠だと、この日確信したのは春日浦カルトファンの間では語り草となっている。

2008年3月会社の意向も有り関東地方へ移転しチームを離脱。チーム状況から、移籍を認めなかったチームだが、代理人と再三の移籍問題で対話をし移籍容認となった。


身長173cm・体重65kg 通算戦績133試合 2得点。


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小林 祐介 
(こばやし・ゆうすけ) 
2008〜2009


背番号27 ポジション:FP

2008年入団。球技歴なし。大学時代はワンダーフォーゲル部所属。

チーム練習初参加時、小林選手を見た首脳陣の第一印象は、「顔がデカイ」。

フットサルをプレーしたいと、首脳陣へアピールするが、自分に甘く、走れなくなるからと、何度諭しても、会社帰りの飲酒は止める事が出来なかった。しかし、泥酔した時の行動は、笑いの神が降臨する。

特筆するエピソードは下記。

・焼き鳥屋で30分前に食した、おつまみキャベツが、30分経過した後、口から滝の様に飛び出してきた。この時、彼の事をラクダと一緒だと、同席した選手は確信した。

・焼酎を勢いよく飲み始めるが、気が付けば泥酔し、普段でも滑舌が悪いのにロレツが回らなくなり、何を話しているのか、益々聞き取りにくくなる。

・試合終了後、居酒屋へ行き、メニューに無い「おにぎり」を、無理矢理作るよう注文。丁重に断られた。その後、チャーハンを注文したのだが、1時間ほど待たされ、仕方なく焼酎の水割りを飲んでいたら、10杯は飲んでしまい泥酔した。

・マエダヒモビッチ選手が、電話をして飲酒へ誘うと来ないが、ノナディーニ選手が電話して誘うと、直ぐに来る。

また、プレー時、ゴール前のセンタリングに、ロケットヘッドで飛びこんだが、失敗など、チームに慣れ始めた頃であった為、転職で上京する事が決まった時は、チーム内に失意が訪れた。



身長167cm・体重70kg 4頭身 通算戦績31試合 無得点。


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伊東 貴幸 
(いとう・たかゆき) 
2006〜2010


背番号8(2008年まで16) 
ポジション:FP

2006年入団。チーム結成メンバー以外の選手を加入させようとネット応募を開始。ナカコインと共に、第一期加入選手。ドリブルには特筆すべきものがあるが、シュートに関しては難あり。

ただ、ここ一番での得点能力は特筆すべきものがあり、優勝を決めた試合での得点力は高い。

2010年10月スーパービギナーズ優勝を決めた試合で引退を申し出る。初期の弱小チームの頃を知るサポーターからは、引退を惜しむ声が多かった。二人のジュニアに将来を期待したい。

主力として長年を支えてきた。

身長167cm・体重65kg 通算戦績307試合 83得点。

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矢部 嵩之 
(やべ・たかゆき) 
2007〜2011


背番号1  ポジション:GK

2007年シーズン加入。
「埼玉県出身、大学時代フットサルチームでゴレイロを経験していた」というサッカーでは王道を経験したという情報を入手したFC春日浦スカウト陣は、彼の所属する会社へ行き、契約書に無理やりサインをさせる。

当時、倉庫で作業服を着て仕事をしていた彼は、少しあどけなさが残る青年であり、現在の様に小汚く、不摂生によるクリスマスツリー体系になるとは想像もつかなかった。また、ゴレイロ経験者という情報を入手した、当時の正ゴレイロ・オマンポスは、ライバルが加入してくると燃えるのであった。

さて、チーム練習に参加した彼は、弾丸ライナーのシュートには顔を背け、体を背け・・・無回転シュートは股間にぶつけ・・・。期待された以上のプレーでチームに貢献した。その後、オマンポスをコーチ以上の存在と師事し教えを仰ぐが、彼の最終試合には、当時の彼女とのデートを優先し欠席。また、チームが計画してくれた自身の最終試合も、ACIDMANのライブを優先し欠席。恩義などクソ喰らえだと考える、「ゆとり教育第一世代」を体現した選手であった。

尚、彼の加入からの体系の変化については、一級年下のマエダヒモビッチという選手に振り回され、飲めない酒を飲まされ、そして裏切られ捨てられた結果である。

地元埼玉に戻って人間らしい健康的な生活に戻る事と、その20代とは思えない腹回りを戻して頂きたいと願う。

身長173cm・体重65kg 
通算戦績296.試合 1得点


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井上 寛太 
(いのうえ・かんた) 
2007〜2011


背番号6  ポジション:FP

2007年シーズン加入。
ファンクスから突然の移籍に世間を騒がせた「世紀の移籍」から、オマンポス選手と共に副キャプテンとしてチームを鼓舞する。

2年間優勝することが出来なかったチームに於いて、彼の卓越したクリアを主とした守備力は初優勝の原動力となった事は間違いないだろう。

チームレクレーションを行えば泥酔。
昼間は紳士然とした態度を取るのだが、酒(特に協和焼酎)が入れば人が変わり、ヘラヘラ笑い出したと思うと、奇声をあげ、軽犯罪を犯す。彼に関するエピソードで最も有名なモノは西新商店街立〇便事件だろう。

これは、2009年ノナディーニの大分への転勤が決まった大会後、昼間から酒宴を行なったのだが、黒糖焼酎れんとを複数升空けた後、飲み直しに西新商店街へ。西新商店街の、ザ・和民で再び飲酒を行なった後、店を出た途端、チャックを下ろし、日中の商店街のど真ん中で立〇便を行なったというものだ。この時、同行していた全ての選手が逃げる中、マエダヒモビッチのみは両肩を抑えながら、ジャージ、スニーカーにお小水が飛び散る中、静止していたと素であったヤベックの証言がある。

このようにピッチ上だけでは無く、歴代のスーパースターが破天荒な私生活を送っていたようにピッチを離れれば無頼な生活を送る愛すべき選手であった。

しかし、2009年を境に練習・試合共に参加率が激減。新陳代謝を行いたいチーム方針も有り2011年シーズンをもって退団する事となった。

彼の勇姿は今後、FCガラクティコ、ザ・ファンクスで観ることが出来るだろう。得意技は、左へのドリブル。従って左を切れば通行禁止状態となってしまう。尚、シュートは下手。パスカットしてからカウンターの発想は無い。

身長173cm・体重68kg 
通算戦績190試合 7得点


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小田 友和 
(おだ・ともかず) 
2007〜2011


背番号11  ポジション:FP

2008年シーズンにニッシースミカワを代理人として加入。加入当初から、フットサルの楽しさを覚え主力として活躍する事になる。

そして、2008年シーズンには「カスガウラバロンドール」を受賞。これは、賞が設立されてから、初の受賞者となった。2008年は、103試合に出場し20得点を挙げ大活躍。しかし、2009年途中、ドリブル突破を図ろうとしたが、自らボールの上に足を乗せバランスを崩し右足首捻挫。これにより、シーズンの大半を棒に振る。

2010年は、零細企業からの脱却を図ろうと転職を決意。就職先の社風など、新しい風土に触れることでフットサルへの参加が激減した。そんな中、覚えたのがゴルフ。フットサルの試合には来ないが、春日浦ゴルフコンぺには顔を出すという状況の中、新陳代謝を図りたいチーム運営方針から退団を決意。2011年シーズンを持って退団となった。

身長170cm・体重68kg 
通算戦績248試合 67得点


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大塚 裕 
(おおつか・ゆたか) 
2010〜2012


背番号18  ポジション:FP

2010年シーズン。部下であるニッシースミカワを代理人として加入。加入当初から、チーム最高齢でありながら、年齢を感じさせない動きを見せる。会社内の立場的にも参加は厳しいかと思われたが、単身赴任との事も有り、部下のニッシーよりも参加率は高かった。

サポーター間では、FC春日浦の良心と呼ばれたが、そのエピソードは数々。
・泥酔したチカを保護者として保護するジェントルマン
・酔って無礼講を行うニッシーに対し笑って済ませる
・泥酔したカンタバーロを保護

ブチョルの良心よりも、春日浦というチームが如何に酒を飲むと凄い事になるかが分かるエピソードだが、精神的支柱を失った事でチームは悲しみに包まれた。

現在も、愛知及び府中でフットサルを続けている。

身長168cm・体重61kg 
通算戦績96試合 7得点 
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河田 誠 
(かわた・まこと) 
2009〜2012


背番号39  ポジション:FP

河 大世。稀代のストライカー。そして、ナカコインとタッグを組む男。
2009年シーズンに加入。当初は、内気なキャラクターで通していたが、自虐キャラとして生きる事を誓う。加入途中に転勤のため、北九州へと居を構える事となったが、北九州から練習、試合に通うという程、春日浦愛に満ちていた。

しかし、業務上、お客との夜の接待は、「無謀と破滅の二世帯住居」の名に相応しいものであった。飲めない酒を飲み、歌えない歌を歌い、セクハラパワハラ女性管理職の横暴、そして理不尽な命令に耐え難きを耐え忍び。まさに、生きるポツダム宣言無条件降伏と言われる壮絶人生であった。

2012年、外資系企業の非情な転勤命令に従い、大阪へ異動。今や彼の勇姿は、FACEBOOKやLINEで確認する事が出来る。

君に幸せあれ。

身長159cm・体重70kg 
通算戦績96試合 7得点 
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河村 知佳 
(かわむら・ちか) 
2010〜2012


背番号32  ポジション:FP

夜の天才ストライカー。通称ブス。泥酔王。女カンタ。
女性とは思えないその行動に魅せられたサポーターは多数。戦術「酒と共に去りぬ」。

しかし、天性のゴールへの嗅覚が女子得点王争いを面白くし、タイトルレースを面白くさせた。

2012年突如、退職し沖縄へ移動。帰福後、決まっていた就職先を2ヶ月程度で、会社都合により退職。2015年秋から、オーストラリアヘ行く予定。


身長155cm・体重50kg 
通算戦績127試合 16得点 
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大久保 紀子 
(おおくぼ・のりこ) 
2010〜2012


背番号82  ポジション:FP

底知れぬスタミナ。的確なシュートコース。下手な男よりうまい守備。
FC春日浦に於いて、後にも先にも彼女を超える女性プレイヤーは現れないだろう。そう思わせる程のプレイヤーであった。

人妻でありながら参加率も高く、主要メンバーとして活動していたのも束の間、家庭の事情で、出身先である関東へ転勤。チームとして空いた穴は大きいが、彼女にとっても幸せな選択である事は間違いないだろう。

遠い空の下でもフットサルを続け、春日浦を思い出して貰いたい。

身長150cm・体重40kg 
通算戦績81試合 19得点 
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星 克己 
(ほし・かつき) 
2006〜2012


背番号20  ポジション:FP

2006年。福岡市内に産まれた名も無きフットサルチームであったFC春日浦を知るレジェンド。結成した事を人伝て(山下克衛)に聞いた星は、代表のノナディーニへ電話連絡、入団の申し込みを行い快諾。すぐさま、背番号20の提示を受け入団が決定する。

しかし、長らく続く低迷の時代。鎖国政策をといた春日浦に、その後入団した選手と共に新しい時代を作る。12年シーズンに、ユージーに奪われるまで続いた、6年間連続得点王や2年連続最優秀選手賞など、サポーターの記憶に残る歴史を刻み続けた。

長らく好成績を挙げることが出来たのも、06年シーズン終盤に結婚した愛妻の内助の功によるものも大きい。

12年シーズン終盤、転職による異動が決定。13年シーズンは、春日浦に居ない事を納会で宣言した。新天地は浦和。関東で、オマンポス、ヤベッチ、ブチョルなど春日浦を彩ったレジェント達との再開、再共演に期待したい。

彼の意志を受け継いだ、マエダ芋ビッチ、タック藤田の奮起と、彼の不在を感じさせない働きに期待したい。


身長170cm・体重68kg 
通算戦績476試合 230得点 25アシスト
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澄川 晃市 
(すみかわ・こういち) 
2006〜2014


背番号14  ポジション:FP

2006年。福岡市内に産まれた名も無きフットサルチームであったFC春日浦を知るレジェンド。結成した事を人伝て(山下克衛)に聞いた星は、代表のノナディーニへ電話連絡、入団の申し込みを行い快諾。すぐさま、背番号20の提示を受け入団が決定する。

しかし、長らく続く低迷の時代。鎖国政策をといた春日浦に、その後入団した選手と共に新しい時代を作る。12年シーズンに、ユージーに奪われるまで続いた、6年間連続得点王や2年連続最優秀選手賞など、サポーターの記憶に残る歴史を刻み続けた。

長らく好成績を挙げることが出来たのも、06年シーズン終盤に結婚した愛妻の内助の功によるものも大きい。

12年シーズン終盤、転職による異動が決定。13年シーズンは、春日浦に居ない事を納会で宣言した。新天地は浦和。関東で、オマンポス、ヤベッチ、ブチョルなど春日浦を彩ったレジェント達との再開、再共演に期待したい。

彼の意志を受け継いだ、マエダ芋ビッチ、タック藤田の奮起と、彼の不在を感じさせない働きに期待したい。

嫁の里に帰ってきても連絡はない。

身長170cm・体重68kg 
通算戦績476試合 230得点 25アシスト



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